AboutPanizzaとは
イタリア・トスカーナ地方を居を構えるPanizzaは、1879年の創業以来、熟練の技術と華麗なデザインでイタリアン・ハットのトップ・ブランドとして国内外に名を馳せています。パニッツァ家とガンバ家、二つの家族からなるこのファミリー企業は15代目を迎え、現在も創業者の子孫が19世紀後半から続くクラフトマン・シップを継承し、伝統と革新をもって世界中のファッション業界を魅了し続けています。
HistoryPanizzaの歴史
1879
Panizzaの創業
Panizzaの歴史を語るには、まず135年の時間を遡り、マッジョーレ湖のほとりに到達しなければなりません。
19世紀末期、好景気の続いた経済のおかげで帽子産業は世界中で栄え、特にベルバノ地方の帽子業者は大きな繁栄を見せていました。
少年時代からイタリアン・ハットの工場で経験を積み熟練の技術を習得していたジョバンニ・パニッツァは、ピエモンテ州ギッファ県に住むナターレ・ガンバ、アントニオ・フェリの二人と組んで、1879年にPanizzaを創業しました。
Panizzaは誰もが「小さな工場」と定義するような存在から、瞬く間に世界で最も有名な帽子工場の座へと駆け上がります。
Panizzaの成功には二つの大きな要因がありました。一つは確かな技術力、そしてもう一つは海外市場で勝ち抜く聡明な直観力です。
やがてジョバンニ・パニッツァが引退を決めたとき、彼は新しい株主とコンパーニ氏との共同経営会社に運営を引き渡しました。
経営陣の中には、都市ビエラ出身で叩き上げのナターレ・ガンバが参加していました。ナターレの父ガンバも、同郷の友であるジョバンニ・パニッツァの帽子職人であり、やり手の経営者として会社に加わりました。
時は1897年。パニッツァ家とガンバ家、2つの家族がとうとう一つになったのです。
1905
Panizzaの転換期
1905年は会社にとって変化の年でした。
当初のパートナーの死や退職などがあり、ナターレ・ガンバと創業者の甥ルイージ・パニッツァが実権を握って残ることとなります。以後1960年代初頭までは、父親から息子へと受け継ぐ形で帽子工場を管理していました。
1930年、ルイージ・パニッツァは息子ジョヴァンニ・パニッツァを指導し、一方でボッコーニ大学の最初の卒業生の一人であった若いアントニオ・ガンバが、彼の見習いを始めました。ナターレ・ガンバは、アントニオ・ガンバだけでなく、エンジニアであった彼の弟フェデリコにも活躍の場を残し、1936年に死亡しました。
新世代の若者達が自らの力をもって新しいアイディアを切り拓いてゆくのに、長い時間はかかりませんでした。
アントニオ・ガンバとジョバンニ・パニッツァが経営、フェデリコ・ガンバが生産管理を統括し、会社は収益性を高め成功を収めます。
1952年になると24万個もの帽子を生産し、そのうちの40%を輸出します。この年はPanizzaにとって黄金の年でした。
1954年にルイージ・パニッツァが死亡し、帽子工場はアントニオとフェデリコのガンバ一族が筆頭となります。
先見の明があったアントニオ・ガンバは、海外市場の重要性を見出し、米国で新たな機会を模索しました。
結果、米国の帽子会社 Hat Corporation of America と、欧州15か国でブランドの生産販売契約を結び、1959年に生産が始まりました。
以来、Panizzaは1971年までガンバ一族が舵を取って運営することとなります。
1972年に再び転機が訪れます。
当時のPanizzaは、アントニオ・ガンバ、ピエロ・チェッレッティ、技術協力に興味を参加していたヨハネスブルグのドリアン帽子株式会社のアンドレアノ・ネグラの三者によって運営されていました。
アントニオ・ガンバは元々彼のポジションであった最高業務責任者の座に再び着き、アンドレアノ・ネグラは会長に任命されました。
1972
現在のPanizzaへ
創立から1世紀後の1981年、Panizzaの歴史的な工場は閉鎖を決め、モンテヴァルキのファルカス帽子工場に生産を移転しました。
モンテヴァルキは小さな町でありながら、工場やクラフトで有名な地として知られています。
ファルカス帽子工場は、著名なフェルトハットメーカー・ロッシ帽子工場で職工長を勤めたファルコ・マグナイが、ギウリオ・ファルシオーニと共に1959年創設した工場でした。
ファルカス帽子工場は、この地方の伝統に従って、フィレンツェの麦わらを使った帽子生産を開始し、最終的には織物帽子の自社生産も手掛けるようになります。
ファルカス社はとても信頼できるパートナーで、Panizzaとは長年の良き友人でした。クラシックなフェルトハットの展開を望んでいたファルカス社と、大規模生産のコストに悩むPanizzaは、お互いを探し求めていたかのごとく一緒になりました。
これに伴い、両者間でライセンス契約が成立。ここにファルカス社のブランド・Panizzaとして現在の形態が完成します。最終的には、20年間ファルカス社との関係をマネジメントしていたギアン・パオロ・ガンバが代表となりました。
この時、Panizzaの古い工場に深い愛着を持っていたアントニオ・ガンバは、解体や改装を良しとせず、ブランドの歴史的遺産を守るため、帽子博物館として工場を転用します。
マッジョーレ湖のほとりに佇む風光明媚なこの旧工場は、ヨットクラブとしても活用されています。
今日のPanizzaは、若いローラ・ガンバが筆頭となり、世界で最も認知されたイタリアン・ハット・ブランドの一つという大きな自負を抱き、未来に向かうバトンを受け継いでいます。
Panizzaの歴史が育む卓越したスキルとクラフトマン・シップ、秀でた先見の明は、余すところなく後継者たちに伝承され、ブランドの名に恥じない高品質でファッショナブルな帽子を生み出し続けています。
Hat MuseumPanizzaの帽子博物館
旧工場を転用したブランドの歴史的遺産、帽子博物館
1981年、マッジョーレ湖の湖畔にあるPanizzaの歴史的な工場は、移転を機に館長にアントニオ・ガンバ氏を迎え、帽子博物館として生まれ変わりました。
Panizzaの知識と情熱を伝えるために設立された博物館では、文書、機械と様々なコレクションが展示されており、時空を越えて帽子の進化と歴史を知ることができる、文化的にも重要な場所となっています。
帽子博物館は、Panizzaの初代工場を保存するだけでなく、イタリアの帽子業界にとっても完璧な歴史を維持し伝えていく役目を担っています。
色々な企画展やワークショップも開催されており、博物館での一日は、イタリアン・ハットとPanizzaの持つ優雅さを経験することができます。
入館料は無料で、夏は毎日開館、冬は予約制となっています。お近くにお越しの際は、ぜひお立ち寄りください。
Mascot DogPanizzaのマスコット犬・レオン
自己紹介させてください。僕はジャック・ラッセル・テリアのレオンで、Panizzaのオフィシャル・キャラクターです。
みんなは僕のことを人懐こくって賢いって言います。僕の家族は、もっとも古くから狩猟をする家族でしたが、僕は狩猟には興味がありません。Panizzaブランドのマスコットという役目を与えてもらったことに感謝しています。
この役目は、家族の伝統とも言えます。僕のおじいちゃんは毛むくじゃらのフォックス・テリアです。1960年代に広告キャンペーンのマスコットを勤めました。
彼が持っていた誇りと優れた笑いのセンスで、優雅な帽子をしっぽに乗っけつつ、「ぼさぼさ毛」というスローガンができました。僕もその特長を受け継いでいるんだよ。
僕たちは「ぼさぼさ毛」という特長のおかげ(それだけじゃないんだけど)で、マスコットに選ばれ続けてきました。ぼさぼさ毛は、「Panizzaの帽子に使われている原料の高級なフェルトには、高い耐性がある」ってことを象徴しているんです。
選ばれ続けた理由がそれだけじゃないって言ったのは、僕の祖先や僕はとっても写真映りが良いってこと。とても紳士っぽくて、かっこよくて、Panizzaのように魅力的だからなんだよ!